ちょっと笑えるかも知れない、幼少期の息子の言動

① 1歳過ぎに離婚しましたが、それまでは、私を真ん中にして寝ていました。
子供がだんだんと夜中に起きなくなり、6時過ぎに決まって起きる様になった頃、
子供は目を覚ますと、私の顔を腹ばいになって乗り超え、パパの方へ行っていました。


パパは寝起きが良くはありませんでしたが、子供に起こされるのは嬉しかったみたいで、この頃だけは機嫌よく起きていました。私の顔を乗り越えていく行動は、しばらく続きました。


② 離婚後、私と子供はずっと、シングルベットを2つくっつけて寝ています。
ベッドの端に座ってもまだ足が下に届かない2~3歳の頃、ベッドから降りるなら、
端に座ってお尻をすべらせてストンと降りればいいのに、なぜか一番奥から、腹ばいで
後ろに下がりながら降りていました。端までは歩いてきたら?と思いながらも、この時期を見守っていました。


③ 3~4歳だったと思いますが、おしゃべりが上手になってきた頃、
あるファミリーレストランのコマーシャルで、ドラえもんが「お店で待ってるよ」と
言っているのを見て突然泣き出し、台所にいた私に駆け寄ってきたので、どうしたの?と聞くと、私をテレビの方へ引っ張りながら、「早くお店に行こうよー。ドラえもん
居なくなっちゃうよー。」と言っていました。

④ 保育園の年少クラス以上では、季節に合わせて年に数回、簡単なクッキングをしました。
野菜の皮むきはピーラーを使ったり、年長さんが包丁で野菜を切ったりします。


年少クラスの終わり頃には、クッキングを何回か体験していて、ある日私が夕食の
準備をしていると「ママ、猫の手になってる?」と。

野菜を切る時は指を伸ばさずに丸める事を、先生がそう伝えた様です。

またある休日、外で遊んでいる時にハチが飛んでいて、「あっ、ハチだ」と私が言ったら、「ママ、石になって」と。

わけが分からず思わず笑ってしまい、聞いたらどうやら、ハチがいたら動かないで、という事らしいです。


どうやるのかも聞いたら、頭を抱えてその場にしゃがんで見せてくれました。
保育園の先生はなるほど教えるのが上手だなと思いましたし、子供もきちんと先生の話を聞いているんだなと感心しました。

⑤ 保育園では節分行事で、先生が鬼のお面をかぶってお菓子まきをするのですが、
年中クラスの時まで毎年大泣きしていました。

先生が普段から日頃の様子を写真に撮っていてくれていて、それを買う事ができるのですが、節分行事の写真での子供の顔は、私に怒られた時よりももっとすごい顔で泣いていて、子供は本当に怖かったのでしょうが、これを見ると今でも笑ってしまいます。

年長クラスの節分行事では、泣きそうになっていたけど一生懸命こらえていたと、先生が話してくれました。「去年までは大泣きしてましたものね」と覚えていてくれたり、「年長さんになって、怖いのによく頑張ったね」と褒めてもらって嬉しそうでした。

⑥ 卒園式を2週間後に控えた東日本大震災の日、保育園ではホールに子供達を集めたそうです。
子供を迎えに行った帰り道、「僕ね、ユキノちゃんが泣いちゃったから、肩をトントンしてあげたんだよ。」と。ハル(子供の名前です)は怖くなかったの?と聞いたら、「怖かったよ。男の子も泣いてたけど、僕は我慢したんだ。」と。ちょっと笑ってしまいましたが、節分行事であんなに泣いていたり、年長さんでも泣きそうだった子が、ちょっと頼もしく思えましたし、優しい子だなとホッコリしました。

⑦ 保育園を卒園後すぐ、4/1から学童保育に通う事になっていて、8時に連れて行きました。
保育園の同級生が8人一緒だと分っていたので、安心していたのですが、朝の登所時間は、親御さんの通勤時間によってそれぞれなので、同級生はまだ来ませんでした。

初めての場所で不安になったらしく、先生に挨拶をして離れようとしたら、突然泣き出しました。

これは予想外でしたので、会社に遅れそうになって焦りました。

先生が「大丈夫ですから、お仕事に行って下さい」と言ってくれたり、そうこうしているうちに、保育園での同級生が来て、泣いているのを自分で恥ずかしく思ったのか、すぐに泣き止み慌てて部屋に入っていきました。


私は今度は唖然としましたが、急いで会社に向かいました。この学童は開所8年目くらいでしたが、今までも稀に泣いてしまう子がいましたが、滅多にいないそうです。私もそう思っていました。

学童には6年間通いましたが、何度もこの時の話で先生と盛り上がった事がありました。